ねおちた後

そういうこと

幼馴染と連絡をとりたくない②

前回

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神童伝説(笑)を作ることになったきっかけは、紛れもなく、母親の負けず嫌いのおかげだろう

母親は、幼い頃から音楽に関しては英才(?)教育を受け、学生のうちから新幹線を使って遥々東京にいる先生のところまでレッスンを受けに行ってたそう

そう考えると、祖母の執念もものすごいし、それについて行った母親もキョウジンだと思う

蛙の子は蛙である

 

わたしも親は言うことを聞いていれば大人しいと言うことを本能的にわかっていたのか、大人しくこどもちゃれんじや、公文のドリルをコピーしたやつなんかを毎日ノルマ分こなしていた

 

伝説の裏側は何てことはない、ちゃんとした努力の末の結果であった

 

という訳で、負けず嫌いを発動させた母親は、わたしの運動音痴も努力で解決しようとした

 

短距離は無理でも、マラソンなら体力つけばどうにかなると思ったのか、2年生の秋くらいから、年明けにあるマラソン大会に向けて、裏の山に続く坂道を毎晩走らされた

マジで近所迷惑レベルで泣き叫びながら走った

疲れてるから啜り泣くなんてできない、怒りとか怖さとか疲れとか全てを吐き出すように大声で泣き叫びながら坂道を走っていた

 

一種のホラーである

 

こうした涙ぐましい努力を続け、1年生の時はマラソン大会で下位25%程度の順位だったのに対し、2年生の時は上位25%に入るようになった

さらに3年生の時には学年で1番をとった

小5の時には市の駅伝大会に学校代表で出てほしいと声をかけられるくらいになった

 

こうして、新たな伝説(笑)が作り上げられた

 

このタイミングくらいからか、気づかない間にいじめ的なのが始まっていた

机にバーカ!死ね!って書かれるとか、上靴隠されるとか、そう言う目に見えたいじめはなかったが、普通に無視されたりハブられたりする感じで、静かにいじめられていた

 

そんな時に、唯一わたしと遊んでくれた女の子がいたのだが、こいつものちにわたしの人生において厄介な存在へと成長していき、トラウマ的存在でだいぶムカつくので割愛する

 

もう昔すぎてほとんど覚えていないので何されて嫌だったとかが思い出せない

母親曰く、わたしはいじめられていることについて、どこかのタイミングで母親に打ち明けたらしく、つらくてか悲しくてか泣いていたそうだ

 

これを母親が、ある友達の母親に相談したそう

 

この友達とは中学校の部活も一緒で、今でも連絡を取ったりする

当時1番仲の良かった友達だった

 

その友達の母親も、わたしとその友達が仲がいいことは知っていて、その上、母親同士も割と仲が良かった

恥を承知で、母親が打ち明けたのだろうか

 

それを聞いた友達の母親が、いじめについてその友達に問いただしたという

 

するとその友達はこういった

 

『だって〇〇ちゃん(幼馴染)が…』

 

耳を疑うようなことをいった

 

 

 

 

つづく